今こそ眼を向ける必要がありゃせぬか

f:id:kuromekawa28:20151112143521j:plain講談社学術文庫

 

 副題は「地球志向の比較学」と言うそうだが、この鶴見和子作の「南方熊楠」という本は1990年代のはじめ頃には出版界で一大ブームを引き起こした。

 

南方熊楠といえば、植物学にも民俗学にも通じ、粘菌の研究などで知られる人物、19歳で渡米し33歳で帰国するまで14年間をアメリカとイギリスで過ごした。しかし、彼は大学にも行かず、学位も取らなかった。帰国後は紀州和歌山を出ることなく<自分で本を読み、本を写し、植物を採取し、観察し、文章を書いて生涯を終えた>。

 

だからこそ彼の学問は権威に縛られること無く、独自の道を開いたのだと著者は言う。

彼女がとくに強い共感と関心を示すのが、熊楠が唯一実践的に活動した「神社合祀反対運動」である。神社は原則として一村に一社とし、ほかの神社は廃止せよという明治政府勅令に、熊楠は敢然と反対した。そんなことをしたら鎮守の森が消え、生態系が破壊されて人心も荒廃するではないかと、今日でいうエコロジーの考え方である。

 

南方熊楠の現代性」と題された最終章では、彼女は熊楠を<二十世紀の日本のソロー>と呼ぶ。<ソローは、わたしがもっとも尊敬する十九世紀アメリカの思想家である>。知識の量では熊楠が上だが<思想性においては、南方はソローに匹敵する>のだと言う。

 

熊楠への思いは、自らも戦時中に渡米し、比較社会学者として枠にとらわれない仕事を続けた和子自身とも重なるところがあったからであろう。

 

ラストの言葉は、今も有効であり、今こそ思いを新たにして眼を向ける言葉である。

<今、日本で起こっている、人間の問題を解き放つ水路を開くために、尽きせぬ泉がそこにあるとわたしは考える>

一足早いのですが、準備はどうですか

f:id:kuromekawa28:20151029090727j:plain集英社文庫版

世界の今に、もう一度見てもらいたいクリスマスの原点とも言える物語です。

あまりにも有名なイギリスの作家ディケンズの「クリスマス・キャロル」です。クリスマス・イヴの晩に、ケチで強欲で冷酷なスクルージのもとに7年前に死んだ共同経営者マーレイの亡霊が現れるという不吉な言葉で始まる。

 

 マーレイの予言通り、この夜にスクルージのもとに3人の精霊が現れて、彼の過去、現在、未来を見せる。スクルージを震撼させたのはだれも悲しまない自分の孤独死だったが、それ以上に強い印象を残すのは現在である。

 

 そこはスクルージが安月給で雇っているボッブの家、食卓を囲んでクリスマスを祝う一家だ足の悪いティムを指差して「あの子は生きのびられるだろうか」と問うスクルージに「子供は死ぬ」と精霊は言う。「死にそうなら、死んだらいい。そうすれば、余分な人口が減る」と。それは昼間、スクルージが口にしたセリフだった。さらに貧しい子どもたちを見たスクルージは「彼らが避難できる場所はないのか」と問う。「監獄があるんじゃないかな?」「救貧院があるんじゃなかったかね?」というのもスクルージのセリフだった。

 

産業革命を経てもなお貧富の差が大きかった19世紀のイギリス、ケチで冷酷なスクルージとはなど拝金主義がはびこる当時のイギリスの政治そのものを象徴していた。

 

物語は改悛したスクルージが急にいい人になって、ボッブの給料を上げると言い出し、<ちびのティムが言ったように、神さまがわたしたちすべてに祝福を与えてくださいますように!>と、めでたしめでたしの幕で終わる。

 

クリスマスを家族で祝う習慣は、ディケンズが広めたという説もあるくらいです。

 

上方の人情喜劇の原型

f:id:kuromekawa28:20151021164347j:plain新潮文庫

大阪の大阪らしい織田作之助の名作。一銭天ぷら屋を営む両親の話で、主人公はその娘の蝶子だ。<年中借金取りが出入りした>という書き出しから、商売の状況も見えて来る。

 

曽根崎新地の芸者になった蝶子、大正12年に化粧品問屋の息子で妻子持ちの柳吉と駆け落ち同然に所帯を持つ。この柳吉がどうしようもない男で、ヤトナ(臨時雇いの芸者)でようやく貯めた蝶子の稼ぎを使い果たす。また、勘当された実家にもカネの無心に行く。剃刀屋、関東煮屋、果物屋などと夫婦ではじめた商売も柳吉の放蕩のため長続きしない。

 

 何日も家を空けたあげく「今頃は半七さん」なぞと浄瑠璃の一節を語りながら帰って来る柳吉、蝶子は容赦なくど突き倒すが最後にはいつも許してしまう。一緒になって10年余、ふたりは法善寺で「めおとぜんざい」の店に入る。1杯分のぜんざいを多く見せるため2杯のお椀に分けて出す「めおと」の由来を話して聞かせる柳吉に蝶子は応じる。「1人より夫婦の方が良えいうことでっしゃろ」と。

 

 <蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝り出した。・・・柳吉は蝶子の三味線で「太十」を語り、二等賞を貰った。景品の大きな座蒲団は蝶子が毎日使った>「太十」とは「絵本太功記」十段目のこと、夫が手にした座蒲団を「尻に敷く」妻が勝ったのか、それとも自分の趣味に妻を引き込んだ夫が勝ったのかは別として、ふがいない亭主としっかり者の嫁、子には甘い親と近世世話物浄瑠璃にも似た上方人情悲喜劇が織り成す物語だ。

 

甘いぜんざいとやわらかい座蒲団、それは妻を丸め込もうとする夫と丸め込まれたふりをする妻とも言える。

 

 

 

奇想天外な仏教にまつわる物語

f:id:kuromekawa28:20151007095012j:plain岩波文庫

  ここにある「西遊記」は、これまで多くの人に読まれ、マンガにもされた孫悟空というサルが主人公の物語、本当の主人公は玄奘三蔵というお坊さんが16年にわたる旅をするものだ。このお坊さんは唐の時代の実在の人物、天竺(インド)への旅をして長安に経典を持ち帰ったのが645年とされている。

 

 作者は呉承恩という人とされていたが、近年に疑問視され数人の共作ではないかともいわれている。全部で10巻にも上る物語は、大きく分けて四つの部分になる。

第1巻~7回までは、花果山の石から生まれ、仙術を学んだとされるサルが孫悟空で天界で大暴れする。次いで、500年後に如来の命で下界に降りた観音様が取経者を探す話。その後、唐の太宗皇帝が一度は死ぬが冥界からよみがえって玄奘を見出すまでの話。そして、天竺をめざして旅立った玄奘孫悟空猪八戒沙悟浄らに出会って旅を続け、経典を持ち帰るまでのめでたい「西天取経」の故事の話である。

 

 行く先々で妖怪に出くわした一行が得意の術で切り抜け、困難な旅を続けるところが主に子ども向けの本に集約されている。完訳版には、艶っぽい逸話などもあり楽しみもある。5040日(約14年)かけて西天に辿りついた一行は、経典を手にして帰路につき唐に戻って太宗の歓待を受ける。ところがそこに天から如来の使いが現れ、彼等は西天に連れ戻される。やがて如来に前世での罪を許された一行、「お師匠さま、いまじゃおれさまも、あなたと同じように、仏になった身なんですぜ」と孫悟空は三蔵に頭の金箍(きんこ)を外せと要求するが、もう輪は外れていた。

 

 最後は「仏法僧」を表す教典の一節、<十万三世一切仏 諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜>を現代語に訳すと、<あらゆる時空の仏よ、諸尊と菩薩(僧)よ、大いなる智恵(法)よ。皆が唱える経ですべての奇譚が浄化される>との有難いお言葉である。

 

 

社会派推理小説の傑作

f:id:kuromekawa28:20150907093904j:plain新潮文庫

 舞台の設定は1947年、<海峡は荒れていた>という始まりから海難事故の概要をたどることになる。正確には9月26日、折からの台風で青函連絡船洞爺丸が沈没する。死者は最終的に1000人を超す大事故となった。その同じ日に、北海道岩内町で死者35人を出す大火があった。また、作家水上勉を一躍有名にした小説でもある。

 

 海難事故の死者は532人、だが乗船名簿より2体多い。一方の大火の出火原因は強盗殺人犯による放火と推定されたが、警察は3人組の容疑者を取り逃がす。この二つの惨劇を発端に、事件を追って函館、青森、東京、舞鶴と動いて行く。

 

 僻村に生まれるも事業で成功し、篤志家として名をなした犬飼多吉こと樽見京一郎と青森で酌婦をしていた頃に京一郎から受けた恩を忘れず、10年後に舞鶴まで彼を訪ねて行って命を失う杉戸八重の二人の凄絶な半生が物語の中心である。

 

 舞鶴東署の味村刑事が京一郎を伴い現場検証のため函館へと向かう。

津軽海峡にさしかかる頃、味村の背後で人の動きが、手錠をかけられた樽見京一郎が海に飛び込んだのだ。一同蒼白になるも<世紀の犯罪人が消えた海をただ呆然とみつめるしかなかった><北の沖の方が一瞬黒くなった。海峡に日が落ちたのだ>と、警察の大失態と海峡の落日の重なる最終部分が印象的だ。

 

 余談だが、この小説は映画化され、監督は内田吐夢、主人公の樽見京一郎には俳優の三国連太郎が、杉戸八重には左幸子が演じた。名監督、名優が演じた映画も大変なヒット作になった。

 

 

世の男たちに告ぐ警告を読んで見たら

f:id:kuromekawa28:20150831194523j:plain新潮文庫

 日本近代文学の祖ともいわれている二葉亭四迷の「浮雲」は、初の言文一致体の小説とされる。

 

 小説は<千早振る神無月ももはや跡二日の余波(なごり)となった二十八日の午後三時頃に、神田見附の内より、塗渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出でて来るのは、孰(いず)れも顋(おとがい)を気にし給う方々>と始まる。

これは官僚が仕事を終えて役所を出て来た場面、現在の千代田区大手町付近である。

 

 この集団には、主人公の内海文三23歳も混じっていた。叔父の家に下宿して官僚になったが、じつはその日、彼は役所をリストラされていた。ここから彼の苦悩が始まる。

 失業以来、従妹のお勢が冷たくなり、元同僚の本田に急接近しているのがおもしろくない。お勢を浮気者呼ばわりして自室に閉じこもってしまう。

 

 物語は文三がお勢にもう一度話をして、ダメだったら叔父の家を出ようと決心する。

<今一度運を試して聴かれたらその通り、若し聴かれん時にはその時こそ断然叔父の家を辞し去ろうと、遂にこう決心して、そして一(ひと)と先(まず)二階へ戻った>

 

 立身出世コースから落ちこぼれた「負け組」の文三、俗物だが「勝ち組」の本田のふたりの男を天秤にかける18歳のお勢とは現代のギャルそのものではないのか。

 

舞台や映画で有名な悲恋の物語

f:id:kuromekawa28:20150818173055j:plain新潮文庫

 「切れるの別れるのって、そんなことはね、芸者のときにいうものよ」というセリフ、聞いた人は多いかも知れない。ご存知、泉鏡花作の「婦系図」の一節、元芸者のお蔦が湯島天神で言うセリフである。

 

 主人公の早瀬主税は恩師の酒井俊蔵の下でドイツ語を修めた陸軍参謀本部の翻訳官で、柳橋の芸妓だったお蔦と所帯をもつが、恩師の酒井には内緒である。そこへもちあがった酒井の娘・妙子と静岡の病院の御曹司・河野英吉の縁談、河野母子に妙子の身元調査を依頼された早瀬は怒ってこれを断る。しかし、その早瀬もお蔦との関係を見とがめられ、<俺を棄てるか、婦を棄てるか>と迫られ<婦を棄てます。先生>と誓う。

 

 後半は、東京での職を追われ、お蔦とも別れて静岡に移った早瀬は、人を血筋や経歴で判断する世間と河野一家への復讐に生きる。河野家の家長・英臣と久能山東照宮で対決した早瀬は、修羅場の中で河野家の人々が次々に死んでゆくのを見届ける。そしてその夜清水港の旅店で<お蔦の黒髪を抱きながら、早瀬は潔く毒を仰いだのである>。

 

 鏡花は、モデル問題などもあり、この結末でずいぶんと悩んだらしい。

早瀬もワルだが、河野家の女たちの悪女ぶりも相当なものだ。では、一体お蔦はどういう登場人物だったのか?見方によっては端役とも思える内容だ。