時代に翻弄された女優

f:id:kuromekawa28:20150630175336j:plain新潮文庫

 李香蘭こと山口淑子の波乱万丈な回想録を描いたのがこの本である。

藤原作弥との共著になっているが、題名通り山口淑子の半生記であり、彼女が生まれてから終戦を迎えて日本へ引き揚げるまでを描いたものとなっている。

1920年、淑子は中国遼寧省瀋陽(旧満州奉天)近郊で生まれた。後に撫順で育ったが父母とも九州出身の生粋の日本人だった。満州生まれで満州育ちの彼女が18歳で東京に旅するまでは祖国を知らなかった。そんな彼女が、どうして「中国人・李香蘭」になったのか?キッカケは、山口家と隣り合わせの李さん一家が中国式の友誼の誓いとして結んだ義理の血縁関係だったのである。その時もらった名前が李香蘭だった。

 女学校時代、ロシア人の親友リューバに誘われて、歌のレッスンに通ったことが彼女の運命を変えることとなった。奉天放送局にスカウトされ、ラジオで歌うことになったのだ。専属歌手の条件は、中国人少女で譜面が読めて、北京語と日本語が話せることでバイリンガルの彼女にはぴったりだった。ただし、日本人ということを除いてのことだった。これから先もスター誕生というより紆余曲折にもまれ、二つの国の間で翻弄された女性の昭和史というものだった。

<二つの国をー一つは祖国として愛し、一つは故国として愛して生きたつもりだったが、実はその二つの国同士は相対立し、戦っていたのだった>戦中の国策映画に出演したことを後に深く悔いることとなった。上海で迎えた敗戦、収容所に送られるも、死刑判決を免れたのはリューバが届けてくれた戸籍謄本のおかげだった。1946年3月、山口淑子に戻り、引き揚げ船に乗った彼女は<さようなら、李香蘭>とつぶやく。

<「夜来香」を聞きながら、私はその水面に揺れ動く虹をいつまでも見ていた>「夜来香」は彼女自身のヒット曲で、戦後もテレビ司会者や政治家として活躍した山口だが、この本はここで終わる内容になっている。