国の底辺を支える人がいなくなれば国は亡びる

f:id:kuromekawa28:20150713123409j:plain中公文庫版

 いまの日本では、誰しも目立ちたがり屋で物事に楽をして金を求める人たちが増えている。かって、元東京都知事の石原氏が「最近のテレビは、お笑いとグルメ、セックスばかりだ」と嘆いたことがあったが、社会的に影響の大きいマスコミ業界が世の中の流行を作り出し、世間をその方向へと誘導する危険性を指摘した。

この本は、そうした風潮への警鐘を鳴らしたようにも思える内容が多くある。

作者は、福島県生まれの吉野せい、70歳を過ぎて筆をとった随筆集だけに彼女の人生そのものとも言える。16編の随筆集で構成され、何代記が綴られていてこの1冊で有名作家になった。

<ノボルはかぞえ年六つの男の子である>という書き出し、21歳で詩人の三野混沌(本名・吉野義也)と結婚し、阿武隈山麓の開拓農家として夫とともに梨づくりに精進する一方で6人の子どもを育てた。表題は幼い息子の話で、妹を背中にくくりつけているため仲間と遊べないノボルが、ある日ヨーヨーが欲しいと言い出した。家計が苦しく<初めてねだったいじらしい希望>をかなえてやれないせいは、来年学校に上がったら帽子もカバンも本も買ってやるからと諭すが・・・。

1歳前に逝った娘、移り行く季節と農作業、炭坑の出水事故で死んだ男性、特高に目をつけられていた夫など戦争を挟んだ山村の暮らしの描写は新鮮だが、いかんせん文章が古い。文学的な技巧を凝らした骨董的な文章は、結婚前に山村暮鳥の指導を受け、夫の死後、同郷の草野心平に「あんたは書かなければならない」と命じられた彼女の文才だが、最終章には「私は百姓女」でと書く。

<この空の下で、この雲の変化する風景の中で、朽ち果てる今日まで私はあまり迷いもなかった>と。<それは、さんらんたる王者の椅子の豪華さにほこり高くもたれるよりも、地辺でなし終えたやすらぎだけを、畑に、雲に、風に、すり切れた野良着の袖口から突き出たかたい皺だらけの自分の黒い手に、衒いなくしかと感じているからかも知れない>農に生きた人生に悔いなしと誇り高く宣言する。