女優は、この人の自伝

f:id:kuromekawa28:20150723184056j:plain新潮文庫

 今回の自伝の女優は、表題にもある高峰秀子さんです。

おの日記はいきなり母の話から始まる<私の母は、今年七十四歳である。母の唯一の誇りは天皇サマ(昭和天皇)と同じ年であること、そして最大の悲しみは一人娘の私が育ちすぎて手に負えなくなったことらしい>と、この母はもともとは秀子の叔母だった。

4歳で、芸能ブローカーのような仕事をしていた養父と活動弁士だった養母の養女になった秀子は、5歳で松竹のオーデションを受けて子役になった。この母の活動弁士時代の芸名が「高峰秀子」だったそうなのだ。

上巻で描かれるのは、秀子の少女時代で、生家の父、特異な養母に加えて彼女を養女にしたいと望んだ大物歌手の東海林太郎など複雑な家庭環境と大人に囲まれた仕事でろくに学校に通う時間もなかった秀子だった。30歳になるまで二ケタの掛け算ができず、国語辞典を引いたこともなく<子ども心にも「自分は一家の働き手」であることをうっすらと感じはじめていた>。

天才子役から人気女優になった人の自伝的エッセイとは思えない内容と筆致、秀子の筆は冴え渡り、自身の境遇のみならず、戦前、戦中から戦後に至る社会の変化もきっちりと書き込んでいる。<男たちは戦争をした。男たちは戦争に負けた。自業自得である。ワリを食ったのは女たちである>と敗戦直後の感慨を述べている。

木下恵介監督の「カルメン故郷に帰る」や「二十四の瞳」など、下巻では20代の女優に成長した秀子の姿が描かれ、30歳での松山善三との結婚で幕を閉じて、最後にまた母の話に戻る。<長い間のつきあいである。そして、まだまだ続く「母と娘」の縁である。/ 私の口の中に、まだ「親知らず」は生えていない>自伝を書く上でどうしても避けて通れなかった母との確執である。