今の時代には、実に新鮮な恋愛物語

f:id:kuromekawa28:20150730200307j:plain岩波文庫

 若い人には新鮮に映る明治の大ベストセラーが、この徳富蘆花作の「不如帰」だ。

 

その冒頭は<上州伊香保千明(ちぎら)の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。年は十八九。品よき丸髷に結いて、草色の紐つけし小紋縮緬の被布を着たり>と紹介される主人公は浪子という女性。陸軍中将・片岡毅の娘である。彼女の夫は海軍少尉・川島武男、結婚したばかりのふたりは、いわば新婚旅行で伊香保温泉に来ているのだ。

ところが、浪子はやがて肺結核を患い、武男の航海中に川島家を離縁されてしまう。引き裂かれたふたり「ああつらい!つらい!もうーもう婦人(おんな)なんぞにー生まれはしませんよ。ーあああ!」という言葉を残して死んで行く。夫婦なのに純愛の場面。夫婦なのに悲恋の場面。不治の病と家制度に阻まれた明治時代のラブストーリーの展開である。

 

このラストはどうなるのか。出張先から戻り、浪子の死を知って青山墓地を訪れた武男の前に浪子の父・片岡中将があらわれ、肩をたたいて言う。「武男君、浪は死んでも、な、わたしはやっぱい卿(あんた)の爺(おやじ)じゃ。しっかい頼んますぞ。ー前途遠しじゃ。ーああ、久しぶり、武男さん、いっしょに行って、ゆるゆる台湾の話でも聞こう!」なぜ直前の<互いに手を握りつつ、二人が涙は滴々として墓標の下に落ちたり>で終わらず、このような会話になったのか?

 

片岡中将も武男も軍人である。時は日清戦争の頃で富国強兵の時代、いつまでもめそめそしていたら男がすたるとでも言うのか。当時の国民新聞で「不如帰」の連載がはじまった1898年は、折りしも明治民法の「親族」の項が公布され、一夫一婦制が制度としてはじめて確立した年だった。この純愛モードのふたりは、この民法に沿ったカップルだったのだ。