旅行記として秀逸な記録を見て

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中公文庫版

 

 武田百合子作のこの目を惹く題名の下にあるロシア旅行、これがこの本の内容のようです。それも、「昭和44年6月10日 晴」という書き出しで始まっているので、旧ソ連への旅行です。

 

<横浜大桟橋に九時十五分前に着く。/ ハバロフスク号は真白い船だ。大桟橋の左に横付けになっていた>、同行者は夫で作家の武田泰淳と、その友人である評論家の竹内好だが、文学者然とした取材旅行ではなく、彼らが参加したのは旅行社が企画した一般の団体旅行である。

 

添乗員の山口さん、関西の資産家の銭高老人などの一向10人で、泰淳や竹内もそこではただのオジサンだ。闊達な竹内とは逆に泰淳はまことに気が利かない夫として描いている。行きの船中でも「百合子。面白いか?嬉しいか?」などと聞く。「面白くも嬉しくもまだない。だんだん嬉しくなると思う」と百合子が答える。

 

ナホトカまで船で行き、列車でハバロフスクへ、その先は飛行機を乗り継いで中央アジアの都市に寄りレニングラードとモスクワだ。半日は観光地をバスで回り、残りは自由時間という修学旅行みたいな旅である。その行程を淡々と綴っているのだが一緒に旅している気分になる。特に食事の記録<朝食 /〇パン、バター/〇チーズ大切四片/〇にんにくの匂いの強いソーセージ四片/〇紅茶>といった詳細なものだ。

あとがきには<帰国の折の飛行機は、二人をのせそのまま宇宙船と化して軌道にのり、無明の宇宙を永遠に回遊している>。夫とその友人は楽しげに酒を飲んでいる。その酒盛りには銭高老人も、百合子は<私だけ、いつ、どこで途中下車したのだろう>と書いている。

百合子のデビューは夫の没後だった。家族の日々を綴った「富士日記」だが、そこには最後に彼女のさびしさが吐露されている。