戦争の残虐さの極みを暴く

f:id:kuromekawa28:20160112172303j:plain新潮文庫

 舞台は知床、一見すると紀行文のようにも思える書き出しだが、読み進むうちにとんでもない方向へと行く奇妙な不気味さを含んだ作品である。

<私が羅臼を訪れたのは、散り残ったはまなしの紅い花弁と、つやつやと輝く紅いその実の一緒にながめられる、九月なかばのことでした>と始まる。中学の校長と洞窟にヒカリゴケを見に行った「私」はそこで、「ペキン岬の惨劇」の話を聞く。<その船長は、仲間の肉を喰って、自分だけは丸々と太って、羅臼へやってきたんですからね。全く凄い奴がいますよ>。これは太平洋戦争末期に実際にあった出来事で、難破した徴用船の船乙膳長が死んだ船員の肉で命をつなぎ、ただ一人生還した事件を指している。

 

 作品はこの後、突然「私」が考えた戯曲に転じる。第一幕は洞窟の中、船員たちは喰う喰わないで争うが、ある船員がいった<おめえの首のうしろに、光の輪が見えるだ>。<人の肉さ喰ったもんには、首のうしろに光の輪が出るだよ。緑色のな。うッすい光の輪が出るだよ>。それがヒカリゴケに似ているのだと。

 第二幕は法廷で、被告人となった船長は自分の首のうしろには光の輪があるという。が、人々には見えない。船長の<見て下さい。よく私を見て下さい>という台詞で劇は幕となる。光の輪から連想するのは聖画や仏画に描かれた聖人や仏の姿である。

キリストの最後の晩餐でパンを手にしたキリストが「食べなさい。これは私の体である」と述べた話が思い出される。

 

人肉食などは近代司法では想定されていない罪である。それを裁ける人は果たしているのだろうかと問いかけている。