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昔の物語には知恵があるようだ

f:id:kuromekawa28:20160305191322j:plain小学館文庫版

 浜田廣介作の「泣いた赤おに」には、多くの謎も含んでいる作品といわれている。

 

 人間と仲良くなりたい赤鬼が戸口の前に立て札を出した。その内容はこうだ「ココロノ ヤサシイ オニノ ウチデス。/  ドナタデモ オイデ クダサイ」と。ここには、おいしいお菓子もお茶もございます。とも書いたのに人間は寄り付かない。そこで友人の青鬼が一計を案じた。自分が村で暴れるから君は僕をやっつけろと。作戦は成功し、赤鬼は人間と親しくなる。その後青鬼を訪ねると、「ボクハ コレカラ タビニ デル コトニ シマシタ」「ドコマデモ キミノ トモダチ アオオニ」と記した手紙を戸口に貼って青鬼は姿を消した後だった。

 

 学校での解釈では、これは友情と自己犠牲の物語になる。大人の目で見ると、異文化を拒む共同体と異文化との交流を望む異形の物語とも読み取れる。

 

 赤鬼が人間と親しくなれたのは、彼らをだますことに成功したからではないのか。青鬼が旅に出たのはうそがばれるのを怖れたからではないのか。つまり、人間と鬼の間には本当の信頼関係は成立していないのである。

 

<赤おには、だまって、それを読みました。ニども三ども読みました。戸に手をかけて顔をおしつけ、しくしくと、なみだをながして泣きました>というラストシーンは、どう解釈するのか難しい。赤鬼が泣いたのは、かけがえのない友を失った悲しみなのか、人間にばかりかまけ、同胞を忘れた自分の浅はかさに気づいたからなのか。

 

 昔話に出て来る鬼は悪役が多かった。「桃太郎」「一寸法師」などはそれですね。この物語では、鬼に人間性が加わり画期的なものになっています。しかし、ここに出て来る人間たちはあまりに愚かで単純なようです。外見で相手を判断する。芝居にはだまされる。

 

 まるで、今の政治家を選んでいる国民の浅はかさを象徴しているようだ。