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幻想的なラテンアメリカ文学はいかが

f:id:kuromekawa28:20150202120129p:plain 岩波文庫

 作者はコルタサルという人、短編の名手として知られ、フランス留学中に会得したシュールレアリズムを取り入れた幻想的な作風になっている。

<どう話したものだろう。ぼくはと一人称ではじめるべきか、きみは、彼らとすべきか>で始まり、語り方を思案しつつ<今、ぼくに見えているのは雲だけだ>とか<今、鳩が一羽飛んでいく>とか、余計な描写が至るところに垣間見える。じつは彼の生業は翻訳家だが、趣味で写真も撮っているのだ。

 さて、1ヶ月の11月7日「ぼく」はパリの川岸でひと組の男女を見ていた。母子ほども年の離れたアベック、少年は14~15歳、女は少年を誘惑しようとしているらしい。「ぼく」は想像を逞しくしながらシャッターを切るが、女に見とがめられ、フィルムを渡せと迫られる。その隙に少年は逃げ、あやしい男が近づいて来た。部屋に戻った彼はフィルムを現像し、引き伸ばして壁に貼った。ところが、ふと気づくと写真の中の人々が動いている!

<あの時、ぼくは何も知らずにその場に割り込んで行き、そのせいで向こうの筋書きが台無しになってしまったが、その続きが今始まろうとしていた。現実は、ぼくが以前に想像したよりもはるかに恐ろしいものだった>しかし、写真のこちら側にいる自分は少年を助けることができない。

ラストは、「ぼく」は長方形の画面を見ている。<少しずつ画面が明るくなる。たぶん、太陽がのぞいたのだろう。ふたたび雲がかたまって姿を見せる。時には鳩や雀が飛び過ぎることもある>コルタサルは、小説が映画に似ているとすれば、短編は優れた写真に似ていると述べている。それを地で行くような短編小説である。