身に覚えがある貴方、気をつけましょう

f:id:kuromekawa28:20160225113711j:plain講談社文芸文庫

 お互いに好きで一緒になったはずなのに、こんなはずじゃなかったという中年夫婦、その会話はあまりに生々しく、読者は読みたい、いやもう止めてとも迷うかも。

 

 物語の発端は、妻の時子が年下の米兵・ジョージと関係を持ったことからだった。夫の俊介はパニックに陥る。ねちねちと妻を問い詰めるが、「そうわめかないでよ」と軽くあしらわれ、わだかまりを抱えたまま引き下がらざるを得ない。そこで、せめて気分を変えようと、夫婦はいまの家を売って郊外の新居に引っ越すが、その日に時子の乳がんが発覚する。俊介は今度は入院した妻に翻弄されるハメになる。

 

 この小説が文壇に衝撃を与えたのは、戦後支配的になったアメリカ的な価値観の中で家族が崩壊していく有様を描いたからだといわれている。当時の文学者は、多かれ少なかれみんな「俊介」だったからではなかろうか。

 

<三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れはじめた、と・・・>、こういう書き出しだが、冒頭に「汚濁」の象徴として出て来たみちよの名前がラストで再び登場する。息子の良一の家出を知った俊介は動転して考える。<山岸を追出すのだ。いや、その前にみちよを・・・>と。

 

妻の死後、家政婦として呼び戻されたみちよと、下宿人として俊介の家に住まうことになった友人の山岸だが、息子や娘まで含め、みんなが少しずつ壊れている三輪家で正気を保っているのは外部の視点を持ったこの2人だけなのだ。だからこそ俊介は彼らを「追出さなくては」と思うのだった。

 

 「僕はこの家の主人だし、僕は一種の責任者だからな」とうそぶく俊介、家族崩壊の原因が自分にあるとは決して考えない家長なのだ。

あなたの周りにも、こうした人物はかなりいると思われます。自分を見失った男が凶悪犯になる瞬間とはこのような哀しい、滑稽とも思える人物かも知れない。